「少親化」という問題(少子化問題)
2008年 04月 18日
2008/04/18
『「少親化」という問題(少子化問題)』
年金や医療制度の問題を見ていると、この背景には「少子化」という現象があるとされています。厚労省もそれが原因で、今後もどんどん国民の負担を増やすと説明しています。予測などをみていると、かなり脅迫めいた印象もあります。
この「少子化」の問題に対して、ちょっと違った見方をしている人がいます。
ベストセラー「バカの壁」の著者「養老孟司」氏です。養老氏によると、『「少子化」が問題なのではなく、「少親化」が問題なのだ』というわけです。
養老氏の説では、こんな感じです。
日本人はとても便利な世の中にしたわけです。特に、家事などの面では、ボタンひとつでほとんどやってくれるような「省力化」というものが特徴です。日本人は、とにかく面倒なことをしなくなった、と言えそうです。
そして、人間が一番面倒なもののひとつが、この「子育て」と言えます。
子育てロボットなんてものが発明されるのは、ちょっと問題がありそうですから、一番簡単なのは、この「子育て」みたいな面倒なことを「やらない」ことです。つまり、子を産まない方が楽だってことになります。
親となるべき大人が、親になることを無意識かも知れませんが、拒否する傾向があるのでは?ってわけです。「子が少ない」ということは、同時に「親も少なくなっている」わけでしょう。
さらに、養老氏が指摘するのは、この「親」が、本当の親だけでなく、地域の大人たちまでが「親代わり」をしなくなったことをあげておられます。
昔であれば、「子は、国の宝」ですから、自分の子だけでなく他人の子までも育ててました。大人が「みんなで子を育てる」風潮があったようです。しかし、核家族と言われる社会になり、どんどん少人数の世帯になり、自分と他人が隔絶するような空気になってきたようです。ある意味で「ギスギスした社会」でもあります。
このような社会になってくると、つい「ルール」や「法律」などを、どんどん厳しくしたがる傾向になるようです。「マニュアルがあれば問題ない」なんて考え方に通じるかも知れません。
かつては、その地域で脈々と受け継がれていた「モラル」や「しきたり」みたいなものが、受け継がれず放棄され、「自分たちで考えて、何とかする」ということをしなくなる。
すると、つい自分たちで解決するのではなく、責任が曖昧な国や役所に、すべてを頼りたがるわけです。
国や役所が考えたルールや制度であれば、それがもし仮に、国や役所が儲かるような不適切な仕組みであっても、どういうわけか誰も反対できない。そんな世の中にしてしまっているのでは?
現在で、本当に住民が考えて自治を行っている可能性があるのは、もしかしたら夕張市のような破たんした地域かも知れません。
『「少親化」という問題(少子化問題)』
年金や医療制度の問題を見ていると、この背景には「少子化」という現象があるとされています。厚労省もそれが原因で、今後もどんどん国民の負担を増やすと説明しています。予測などをみていると、かなり脅迫めいた印象もあります。
この「少子化」の問題に対して、ちょっと違った見方をしている人がいます。
ベストセラー「バカの壁」の著者「養老孟司」氏です。養老氏によると、『「少子化」が問題なのではなく、「少親化」が問題なのだ』というわけです。
養老氏の説では、こんな感じです。
日本人はとても便利な世の中にしたわけです。特に、家事などの面では、ボタンひとつでほとんどやってくれるような「省力化」というものが特徴です。日本人は、とにかく面倒なことをしなくなった、と言えそうです。
そして、人間が一番面倒なもののひとつが、この「子育て」と言えます。
子育てロボットなんてものが発明されるのは、ちょっと問題がありそうですから、一番簡単なのは、この「子育て」みたいな面倒なことを「やらない」ことです。つまり、子を産まない方が楽だってことになります。
親となるべき大人が、親になることを無意識かも知れませんが、拒否する傾向があるのでは?ってわけです。「子が少ない」ということは、同時に「親も少なくなっている」わけでしょう。
さらに、養老氏が指摘するのは、この「親」が、本当の親だけでなく、地域の大人たちまでが「親代わり」をしなくなったことをあげておられます。
昔であれば、「子は、国の宝」ですから、自分の子だけでなく他人の子までも育ててました。大人が「みんなで子を育てる」風潮があったようです。しかし、核家族と言われる社会になり、どんどん少人数の世帯になり、自分と他人が隔絶するような空気になってきたようです。ある意味で「ギスギスした社会」でもあります。
このような社会になってくると、つい「ルール」や「法律」などを、どんどん厳しくしたがる傾向になるようです。「マニュアルがあれば問題ない」なんて考え方に通じるかも知れません。
かつては、その地域で脈々と受け継がれていた「モラル」や「しきたり」みたいなものが、受け継がれず放棄され、「自分たちで考えて、何とかする」ということをしなくなる。
すると、つい自分たちで解決するのではなく、責任が曖昧な国や役所に、すべてを頼りたがるわけです。
国や役所が考えたルールや制度であれば、それがもし仮に、国や役所が儲かるような不適切な仕組みであっても、どういうわけか誰も反対できない。そんな世の中にしてしまっているのでは?
現在で、本当に住民が考えて自治を行っている可能性があるのは、もしかしたら夕張市のような破たんした地域かも知れません。
by raccoblog
| 2008-04-18 09:53
| 話題にひと言